文庫版が出ております

2017年09月26日 12:04

文庫版3巻

戦力外捜査官シリーズ3冊目『ゼロの日に叫ぶ』の河出文庫版が出ております。
東京中を巻き込んだ前作『神様の値段』からさらにスケールアップ。
最強の犯罪者「名無し」との戦いです。
毎回重傷を追う設楽には大変申し訳ないと思っております。
巻を追うごとにどんどん盛り上がってゆくシリーズです。
よろしくお願いいたします。






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脳がくしゃみをしただけなんです

2016年08月03日 14:40

あなたは電車に乗っています。

昼下がりの平和な車内です。

座れはしないけどそう混んでもいない、吊り革に掴まる人がちらほらいる車内。

皆、静かです。座っている人も立っている人も、

大抵本を読むか携帯を操作しています。

何もせずぼーっとしている人もちらほら。

あなたの隣に立っている上品な顔のおじさんも、

無表情で窓の外を流れる景色を眺めています。

すると、おじさんが突然、顔を憎悪に歪めて呟きました。

「クソ犬が!」

 

あなたはぎょっとします。

しかしおじさんはもう、もとのぼーっとした表情に戻っています。

一瞬前に鬼の形相でNGワードを吐いたことなど忘れているかのようです。

ブキミです。あなたはそっと吊り革を離し、

クソ犬おじさんから離れました。

 

離れなくても大丈夫です。

クソ犬おじさんはたぶん、「頭の中にほこりが立った」だけなのです。

いきなり槍玉に上げられた犬のみなさんの「なんでボクが?」という悲しげな顔が目に浮かびますが、

それはさておき。

これって、誰にでも経験があることなのではないでしょうか。

何か記憶を呼び覚ますような特別なことがあったわけでもないのに、

しゃっくりをするように不意に「過去の恥ずかしい失敗」を思い出してしまい、

「アーッ!」と叫びたくなってしまう。

故・中島らも先生はこの現象を「頭の中にほこりが立つ」と表現していました。

普段は意識されないけど心の奥底に積もり積もったほこり(過去の恥ずかしい失敗の記憶)が、

何かの拍子にぶわっと舞い上がってしまい、くしゃみや咳を起こさせる、というわけです。

「くしゃみや咳」の表現方法は人それぞれで、

「頭の中で『アーッ!』と叫ぶ」程度で済む健康な人もたくさんいますが、

時折「脳内鼻炎持ち」のような人がいて、

頭の中でほこりが立つと涙を流し鼻水をたらしながら、あられもなく発作を起こします。

このくしゃみは強すぎて到底脳内だけでは処理しきれず、

反射的に顔をゆがめたり、強く体のどこかを掻いたり舌打ちをしたり、

社会常識的にはあまり望ましくない反応として体の外に出ます。

前出のクソ犬おじさんは、その「くしゃみ」の内容が「クソ犬が!」だったわけです。

かなり重度の脳内鼻炎持ちだと言えるでしょう。

 

実は何をかくそう、私も脳内鼻炎持ちです。
しかもかなりの重症です。

いつ頃から始まったのか定かではありませんが、

私はちょっとしたきっかけで頭の中にほこりが立ち、

「中学3年の自己紹介の時にやらかしたミス」とか

「小学6年の時に泣いたこと」「大学時代にやっちまった言い間違い」といった、かなり昔で、

常識的に考えれば「もうそんなこと忘れてもいいだろう」というレベルの痛い記憶まで

いまだに舞い上がっては、激しいくしゃみを起こさせます。

最初の頃は犬おじさんと同様、顔をしかめて「クソッ!」と呟く程度だったのですが、

大人になるにつれ症状が悪化してゆき、

ひどい時は突然わざとらしく「アッハハハハ!」と笑いだしたり、

歯をぎりぎり噛みながら「殺してやる!」と口走ったり、

ちょっとお外では厳禁なレベルの激しいくしゃみが出ておりました。

さすがにヤバいと思ったので、人のいる場ではなるべくこらえるようにしていたのですが、

1人の時は思うさま「殺してやる!」と吐き捨てていました。

それまで何もなく平然とした顔で過ごしているのに、

いきなり両親を殺し妹を連れ去り自分を改造人間にした悪の組織の親玉でも

見たかのような表情になって「殺してやる!」と口走るわけです。

怖いよ。

 

どうしてこんな余計なことが起こるのでしょうか?

こんなどうでもいい現象を研究している人はいないので確かなことは分かりませんが、

人間の脳は一見ボケッとしているだけの時にも実はせっせと活動しており、

夢を見て記憶を整理するように、過去のエピソードをソートしているのではないでしょうか。

「エピソード」と「ソート」で韻を踏んでいますね。我ながらいいセンスです!

(たとえばこう書くと、それがまた新たな埃となって脳内に積もるわけです。)

その「お掃除」の過程でほこりが立ってしまう、というのが、個人的な仮説です。


では、どうしてみんな「くしゃみ」が汚い罵り言葉だったりするのでしょうか?

これは脳内鼻炎持ちなら、誰でも自分なりの説明ができると思います。

たとえば私の「殺してやる!」は、別に悪の組織の親玉を思い浮かべているわけではなく、

殺してやりたいのは「その失敗をした過去の自分」なのです。

「アッハハハハ!」というわざとらしい笑いも同様で、

「失敗をした過去の自分」をあざ笑っているのです。

どちらのくしゃみも多分に演技的なのですが、それはつまりフォローなのです。

「こんな恥ずかしい失敗をした自分をあざ笑ってますよ!」と

見えない観客に向けてアピールすることで、恥ずかしさを軽減させようとしているのです。

また、罵り言葉を吐くとエンドルフィンが出て苦痛が軽減される、という研究もあり、

脳内くしゃみが汚い言葉になりがちなのは、

恥を思い出す時の痛みを和らげようとしているせいなのかもしれません。

人によっては「ああああすいませんすいません」「違う違う」といった

弁解系が出てしまうタイプもあるようで、こちらの方が分かりやすいかもしれません。

クソ犬おじさんは、恥ずかしい過去に悶えているだけなのです。

そっと離れてあげましょう。


ちなみに、頻繁に頭の中でほこりが立つときは、
睡眠不足やストレスなど、何らかの不調がある時が多いように感じます。
くしゃみは体からのサイン。あなたはきっとお疲れなのです。
帰ったらなるべくゆっくり湯船に浸かって、早めに布団に入りましょう。

2年以内に羊になりたい

2015年10月05日 17:46

世の中には饒舌な人と寡黙な人がいます。

よく知らない相手には寡黙でも安心できる相手には饒舌な人。

よく知らない話題だと寡黙でも得意な話題になると饒舌になる人。

素面では寡黙でも酒が入ると饒舌になる人。いろいろいます。

ある人が饒舌であるか寡黙であるかは、

なかなか簡単に判断できるものでもないのですが。

とりあえずの評価基準として、
分かりやすく動物にたとえた
「饒舌」と「寡黙」の評価スケールを考えてみました。

会話時のアグレッシヴ度判定。


レベル5(ピラニア)
常に喋っている。
他の人が喋っている途中でも遮って喋り始め、

店員さんがオーダーを取りにきていようと構わずに喋り続ける。

 

レベル4(スズメバチ

よく喋る。

さすがに遮りはしないが、他の人の話の途中でも、

句読点や呼吸などで一瞬間があけば隙ありとばかりに喋り始め、

他の人に遮られるまで喋り続ける。

 

レベル3(柴犬)

喋るときは喋る。

他人の話がひと通り終わったことを確認してから喋り始め、

ひと通りのトピックを喋ったら他に続きがあっても一旦黙る。

他の人が喋りださなかったら、続きを喋る。

 

レベル2(ひつじ)

積極的には喋らない。

話を振られるか、他人の話が終わって会話が途切れ、

「これは喋った方がいいかな」と判断した場合のみ喋りだし、

ひと通りのトピックを喋ったらそれで黙る。

その場合、他の人が喋りださなくても、しばらく黙っている。

 

レベル1(かたつむり)

できる限り喋らない。

自分からはまず喋りださない。

沈黙が続いても特に気にせず、

または気にしながらも自分からはどうしようもできず、いずれにしろ黙っている。

話を振られると最低限だけ応え、あとは黙っている。

 

レベル0(ナマコ)

喋らない。

何があっても頑なに喋らない。

沈黙など知ったことか。

 

 

こう書くと「レベル3か2が適切」とかいうふうに言う人が必ずいるのですが、

正直なところそれは大きなお世話です。

反社会的なものでない限りひとの性格に適切もへったくれもなく、

「適切」というのは「自分にとって好都合」というだけに過ぎません。

自分にとって好都合というだけに過ぎないものを「適切」と言いかえてはいけません。

喋りたいやつは喋ればいいし、喋りたくないなら黙ってりゃいいのです。

「場を盛り上げる義務」など誰にもないし、

そもそも「賑やか」=「盛り上がっている」ではないし、

ただ盛り上がろうと頑張っているだけの空虚な盛り上がりなら、

シーンとしている方がましだったりもするので。

もっとも「他の人も喋りたいかもしれない」に気付ける人の方が、他人からは好かれますが。

しかも不思議なことに、レベルの平均が2.5に近付いた方が快適かと言うと、

必ずしもそうではないのです。

ナマコはピラニアがグイグイ来すぎて苦手かもしれないし、

逆に「喋ってくれるから楽」と思ってるかもしれません。

ピラニアが複数集まってカオスになっていても、

皆好き勝手に喋って意外と快適かもしれません。

全員ナマコでシーンとしていても、別に一緒にいるだけでいいかもしれません。

ひとの相性はいろいろです。

 

ちなみに私は自己評価だと4.8ぐらいです。ほぼピラニア。

個人的にはもっと寡黙な方が好きなので、ひつじぐらいになりたいのですが。


おひとりさまについて(注意喚起)

2015年07月29日 22:35

この間、同業の方と会い、最近の若い人はおひとりさまを知らない、と聞きました。

そんなことはないだろうと思ったので、後日、編集さんにも訊いてみたのですが、

編集さんも知らないようで、「おひとりさまって何ですか?」と訊き返されました。

その編集さんは若い方なので、ああ本当に今の若い人は知らないのか、と頷きました。

よく考えてみれば、私もおひとりさまのことは九十九里の祖母から聞いたわけでして。

あれは祖父母世代から孫世代へ伝えるもので、

親が子に直接言ってはいけないのだと聞いた覚えもあります。

だとすれば、祖父母と同居していない人が多い最近の世代では、

誰からも聞く機会がないまま大人になってしまった人もけっこういるのかもしれません。

このブログの趣旨と合わない話なので書くべきかどうか迷ったのですが、

このままですと手遅れになってしまうので、今、書いておくことにします。

おひとりさまへの対処法です。

おひとりさまに気をつけましょう。

 

おひとりさまは、1人の時にしか出ません。

1人暮らしなら常に出る可能性があります。

もちろん誰かと同居していても、自分だけが2階にいたり、

同居人が全員寝静まっていれば「1人」ですから、出る可能性があります。

実は「出る」というのは不正確な表現です。

あなたがもしこの文章を1人で読んでいるなら、今、すでにあなたの近くにいます。

ただし、おひとりさまは、常にあなたからぎりぎり見えない位置にいます。

なので、もしこの文章を読んで気になっても、

決していきなり後ろを振り返ったりしないでください。

振り返る時は、かすかでいいので、必ず振り返るそぶりを見せてから振り返ってください。

不意をついていきなり振り返らないでください。

いきなりさっと振り返るくらいなら大抵の場合は大丈夫ですが、

ごはんを食べているふりをしていきなり振り返るとか、

振り返るのをやめたふりをした瞬間にすぐ振り返ってみるとか、

そういう騙しをやらないでください。

そちらの方が危険で、本当におひとりさまを見てしまう可能性が大きいです。

おひとりさまを騙そうとしないでください。

また、1人の時に鏡を見る場合、必ず自分の顔だけに意識を集中させてください。

鏡に映っている自分の背後に焦点を合わせる時は、見るぞ、と思ってから見てください。

決して、不意をついていきなり背後に焦点を合わせたりしないでください。

もっといけないのは、他の鏡が映り込む位置に鏡を置くことです。

鏡の中に他の鏡が映り込んでいる場合、映り込んでいる鏡を決して見ないでください。

おひとりさまがそれに気付かず、見えてしまう可能性が大きいです。

また、視界の隅で戸が細く開いているのを見つけた場合、戸の隙間を見ないでください。

あからさまに見るなら大丈夫です。

横目で見たとしても、きちんとそちらに視線を向けて、はっきり見るなら大丈夫でしょう。

ですが決して、視線を動かさないまま、ぼんやりと視界の隅に入る戸の隙間に

意識を集中させるようなことはしないでください。

隙間のむこうからこちらを見ているおひとりさまが見えてしまう可能性があります。

こういったことは他のあらゆる状況にも当てはまります。

パソコンのディスプレイにうっすらと自分の顔が映り込んでいることに気付いたなら、

必ず顔だけに意識を集中し、それ以外の映り込んでいるものを見ようとしないでください。

夜、カーテンはしっかり閉めてください。

細く開いて隙間からガラス戸が覗いていたりすると、

ガラスに映ったあなたの背後のおひとりさまが見えてしまう可能性があります。

繰り返します。視界の隅や、鏡に映るあなたの背後を意識しないでください。

おひとりさまをだまさないでください。

細く開いた戸の隙間を視界の隅に置いたまま、

このまま待っていればおひとりさまがでるかも、などと考えないでください。

本当に出るかも、と思えば思うほど、本当に出ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というものを考えたわけです。

こういう怪しげな存在の話は好きなのですが、

どうしてもホラータッチになってしまうため、このブログの趣旨とは合わず。

さりとてこのまま夏というシーズンが終わっては手遅れになってしまうわけでして。

仕事で書ける機会もなさそうですし、ここに書くことにいたしました。

怖がりなのでホラー映画とか恐怖画像とかは一切見ないのですが、ホラーは好きです。

ちなみに、こういう話が好きな方には、漫画『不安の種』とその続編『不安の種+

おすすめです。(中山昌亮/秋田書店)

この世には「見なくていいもの」や「見えてしまうと危険なもの」、

「見えてしまった場合、関わらずに黙って通り過ぎるべきもの」があるようです。

室伏かハルクを狙え

2014年08月14日 22:59

小学校の頃、男子の間ではドッジボールが大流行りだった。

休み時間にドッジボール、放課後にドッジボール、

授業時間が余ったら外に出てドッジボール、だった。

一体何が当時の小学生男子をあそこまでドッジボールに駆り立てたのか

今となっては謎であるが、

とにかくボールを使った遊びといえばドッジボールで、

その時だけはクラス内のグループも関係なく、

強い奴も弱い奴もドッジボールだった。

(弱い奴はボールを投げさせてもらえなかったが。)

で、ドッジボールをやっている時、私はいつも首をかしげていた。

みんな、相手チームの「一番強い奴」ばかり狙ってボールを投げるのである。

 

知っての通り、ドッジボールのルールは「コートに残っている人数が多い方が勝ち」である。

仮に相手チームに室伏広治と野比のび太がいたとしても、どっちも「1人」扱いである。

だったら、まず狙うべきはのび太の方ではないか。

室伏の方を狙ってもボールをキャッチされるに決まっているし、

仮に当てたところで、何しろ室伏である。外野から殺人剛速球を投げてきて誰かのどてっ腹に穴が開き、

室伏はすぐに内野に戻って元の黙阿弥、味方の死体が1つ増えただけ、という結果になるに決まっている。

(※あくまで比喩である。室伏広治は殺人などしない)

それなのにみんな、頑なに室伏を狙った。

結果として、試合中は室伏とかハルクみたいなやつの間だけでボールがやりとりされ、

(※そんな小学生はいない。当時の私にはそう見えていた、というだけである。)

弱い奴はコートの隅でいつまでも突っ立ったまま、

植物のように平穏にいつまでも生き残る結果となった。

私は思っていた。みんな、馬鹿じゃないのか。

勝ちたくはないのだろうか?

 

今なら分かる。

勝ちたくないのである。

 

というより、弱い奴から順に狙ってルール上の勝利を得たところで、

ぜんぜん楽しくないのである。

それより、無理と分かっていても室伏に挑み、万に一つでも室伏を倒せたなら、

そちらの方がよっぽど盛り上がるのである。

なにせみんな小学生男子なのだ。ルール上のチマチマした勝利より、

「室伏を狙った男」「室伏を倒した男」という名誉が欲しいのである。

(逆に、のび太やMr.オクレみたいな奴を優先的に狙うと「卑怯者」の称号を賜ることになる。)

だからみんな大物を狙う。

それに、ボールを取られて守備に回ったとして、

のび太より室伏が投げてくる方がよっぽどスリルがあり、面白い。

子供の遊びとは、そういうものである。遊びなのだから、盛り上がることが第一なのだ。

しかし私はそれを理解せず、のび太ばかり狙っていた。(しかも、姑息に足元ばかり狙っていた。)

当時からそういう性格だったのである。

いや、きっと真面目だったのだ。

真面目だから、ルール上の勝利こそ至上、と思ってのび太を狙っていたのだ。

のび太の先にあるのは盛り下がるだけの、空しい勝利だったのだが。

 

ちなみにドッジボールは漢字で書くと「避球」なのであるが、

当時の私たちは「闘球」だと信じて疑わなかった(そういう漫画があったのである)

私たちがやっていたのは「避球」ではなく「闘球」だったのだと考えれば、

なんとなく納得がいく。

「闘球」で強い奴を避けるのは、ルール違反なのだ。




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