星空の記念日

2016年12月24日 21:50

 そろそろ時間だというのに、息子たちは部屋にこもって出てこない。うちの子は2人とも「記念日」が大好きだったはずなのに、今年はどうしたことだろう。そっとしておいた方がいい気もしたが、「応答」の時間は世界共通、夜の7時9分から1時間、と決まっているし、どこの子供も、いや大人たちも皆、7時9分という特別なその時刻、ぴったりに「応答」をしたいと思っている。もしかしたら「応答」の開始時刻を待っているうちに2人して眠ってしまったのかもしれない、と思い、念のため子供部屋へ行くことにした。寝過ごしてしまっていたのに起こしてくれなかった、などということになれば、息子たちからは来年の「記念日」まで丸1年間、恨まれ続けるに決まっている。

「そろそろ『応答』が始まるよ。外に出なくていいのかい?」

 私が戸を開けると、息子たちはぱっと振り返り、満面の笑みを浮かべた。寝てしまったのかと思っていたがとんでもない。ばっちり起きて何やら工作をしている。それにこの笑みは、得意な時の笑みだ。

「何か作っていたのかい? でも、そろそろ終わりにしないと……」

 私が言うと、下の息子が笑い声を漏らし、兄と一緒に作っていたらしき工作物を見せてきた。

「これは……」

「どう?」下の息子が得意げに言った。

「部品を買ってきて作ったんだ」上の息子が得意げに言った。

 息子たちが作っていたのは、言ってみれば簡易式の拡声器だった。マイクで拾った声を増幅させ、円錐型のスピーカーから響かせる。

 私は驚き、笑いながら拍手し、息子たちの発明を褒めた。やはりうちの2人は、今年も間違いなくうちの2人だった。「記念日」が大好きなのだ。私は2人を抱きしめ、背中を叩いて言った。「さあ、外に出よう! 今年はよく晴れて、最高の星空だよ!」

 外に出た息子たちは、私が言った通りの星空に歓声をあげた。「記念日」の性格上、「応答」の時刻は晴れてよく星が見えるほどいいとされている。町中が照明を落とすから、この日だけはいつもとは別世界のように綺麗な星空が見えるのだ。興奮のあまり下の息子が拡声器のスイッチを入れて何か叫びかけ、上の息子に叱られている。「まだだよ。あわてんぼうめ」

「もうすぐだよ」

私は時計を見る。だが本当は見るまでもないのだ。世界中が笑顔で覆われるこの日には、行政庁の職員も夜まで残っていて、「応答」のカウントダウンを町に流してくれる。まもなく応答の時間です。準備はよろしいでしょうか、と音声が流れ、カウントダウンが始まった。

――3、2、1……応答!

私は星空の一点を見上げ、絶叫した。「おおおおおおおい」

下の息子が手製の拡声器で叫ぶ。「届いてるよおおおおおおおう」

上の息子も叫び、気がつくといつの間にか出てきていた妻も隣で叫んでいた。「ありがとおおおおおおう」

周囲の暗がりからも、うち同様に外に出て「応答」をする人々の叫びが次々と聞こえてくる。

――受け取ったぞおおおおおおう。

――聞こえてるかあああああああい。

――いつか会いにいくからなあああああああああ。

――待っててねええええええ。

とりわけ子供たちの声が元気よく響いている。なにしろ今日は、夜中に外で大声を出していい日なのだ。そして「応答」の声は大きければ大きいほどいいとされている。

息子たちも声を嗄らしながら叫んでいる。せっかく作った拡声器も使っているのかいないのか分からない。今、国中で同じような叫びが響いているはずだった。大都市のビル群で。田舎の畑の真ん中で。海上を航行する船の上で。

 

「記念日」のきっかけになる世界的事件が起こったのは、私が生まれる前のことだった。そして私が物心つく頃には、「記念日」の「応答」は世界中、ほとんどの国に定着していた。

 それを受け取ったのは、ある国の研究所に設置された電波受信機である。宇宙から飛来する様々な電波を観測していた受信機が突如、明らかに人工的なあるパターンの「信号」を受信したのだ。

 その日のうちにそれは発表され、世界中を賑わす大ニュースになった。なにしろ、宇宙から「人工的な信号」が届いたのである。つまり、異星人からのメッセージである。発表当初はその真偽を疑う声もあったが、世界的に権威のある研究所のことであったし、その受信機の受信情報はリアルタイムで世界中の研究所が共有していたから、疑う者はじきにいなくなった。

 宇宙から、まだ見ぬ彼方の星の住人から、我々に向けてのメッセージが届いた!

 それは衝撃であり、また希望だった。それが届くまでは、宇宙で文明を発達させた生命体は我々だけであり、「異星人」などというものはいない、という見方が支配的だったからだ。だが違った。我々人類は孤独ではないのだ!

 むろん、電波でのメッセージである。そして発信者は、光の速度でも数万年かかる距離にいることが分かっている。返信をしたとしても届くのは数万年後。実際に出会うことなど夢のまた夢だし、そもそもこのメッセージが我々に届いた時点で、発信者たちはきっと滅んでしまっている。それでも皆、喜びに沸いた。

 そしていつしか、この「記念日」の習慣が始まっていた。最初は科学者たちのお遊びのようなものだったらしいが、いつしかそれは世界的なものになっていた。メッセージが届いた「記念日」の、届いたその時刻に、発信された星の方向に向かって皆で叫んで「応答」するのである。それは感謝と友好のメッセージだった。遠い宇宙の彼方から、我々に呼びかけてくれてありがとう。いつかきっと、会いにいく。

 私と妻と息子たちと、近所の人たちみんなの声が星空に吸い込まれていく。もうしばらくすれば隣の国で「応答」が始まるだろう。一日かけて、「応答」の声はこの星をゆっくりと一周する。最初は研究所のあった国の時計に合わせるべき、という意見もあったが、話し合いの結果、それぞれの国の標準時に合わせることになった。やっぱり皆、星空に、その星の見える方に向かって「応答」したかったのである。

 今ではこの「記念日」を祝わない国はほとんどない。唯一と言っていい、世界共通のお祝いの日だった。そしてこの日だけは、世界中が少しだけ平和になるのだ。

 私は感謝を込め、星空に叫んだ。届いているよ。ありがとう。

 満天の星々を従え、この星の3つの衛星がひときわ眩しく輝いている。



 

 1974年11月16日、プエルトリコのアレシボ電波望遠鏡から、約24000光年先にあるヘラクレス座の球状星団M13に向け、1つのメッセージが発信された。


アレシボ・メッセージ

 

受け取った側がどんな文化・文明を持っていても解読できるように2進法を用いた簡単な暗号に変換されたこのメッセージには、1から10までの数字やヌクレオチドを構成する元素の原子番号、地球人の体の大きさや姿を描いた絵など、いくつかの情報が込められた。「アレシボ・メッセージ」と呼ばれたその信号はつまり、この広い宇宙のどこかにいるかもしれない地球外知的生命体に向けての、地球人の自己紹介なのである。

 壮大な計画だったが、しかしそれは事実上、ほとんど意味のないものではあった。電波でのメッセージがM13に届くのが約24000年後。返信が来たとしてもそれを受け取れるのは48000年後になってしまう。M13に地球外知的生命体がいるという可能性も低い。計画に関わったフランク・ドレイクやカール・セーガンら科学者も、そのことは充分に承知していた。アレシボ・メッセージはむしろ、地球の文明がそこまで進んだことを示す記念碑のようなものであった。

 だが同時に、それは祈りでもあった。ほとんどゼロに近い可能性。だがもしかしたら、いつの日かこの地球に、メッセージを受け取ってくれた隣人からの応答が届くかもしれない。地球人は孤独ではないのかもしれない。

 科学者たちは確かに祈っていた。

 どうか信じさせてください。

 このささやかなメッセージが、いつか誰かに届くことを。

 我々地球人が、この暗く冷たい無限の宇宙で、一人ぼっちではないことを。


 
「届いてるぞおおおおおおお」
 息子たちが元気に叫んでいる。今年の「応答」の時間が終わろうとしている。私もこの星に希望のメッセージをくれた、まだ見ぬ異星の友人のために、ひときわ大きく声をあげた。

「ひとりじゃないぞおおおおおおお」









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玄関先にて

2015年12月24日 18:50

 十数年ぶりに小塚さん宅を訪ねたのだが、小塚さんは以前と変わらぬ明るさで出迎えて
くれた。

「いやいやいきなりお訪ねして申し訳ない。近くまで来たものですから」

「いいえ、すっかりご無沙汰して。何年ぶりでしょうねえ。ほら杏、菊田さんに挨拶しな
さい」

 小塚さんの後ろからは杏ちゃんも顔を覗かせていたが、彼女は私を見るなりぷいと背を
向けてリビングに戻ってしまった。

 小塚さんが困り顔になる。「こら、もう。……すみませんねえ。うちの子、ぜんぜん愛
想がなくて」

「いえいえ。どこもそんなもんですよ」女の子だからかもしれない。「でも杏ちゃん、大
きくなりましたねえ。前に見た時はこんな小さかったのに」

 小塚さんはええ、ええ、と頷く。「もう図体ばっかり大きくなって。どんどんものぐさ
になるんですよ。ゴロゴロしてばっかり」

「でも玄関まで顔出してくれるだけでもいいですよ。うちの娘よりずっとマシ。うちのな
んか、来客があると逃げるように
2階に行くだけですから」

「お腹が空いたんじゃないかしら。『ママお腹空いた』だけはきっちり言うんだから」

 それはうちの娘もそうだなと思う。おかげで最近、顎のあたりが大変丸くなっている。
13歳でしたっけ? もうそういう年頃でしょう。子供の時とは違いますよ」

「今年14です。ほんとにねえ」

14歳かあ。お母さんとしては、いろいろ心配ごとも増えてきますね」

「そうなのよ。それにね最近は、角のところに陸くんっているでしょう。その子が最近、
じーっと見てるの。杏を連れて通ると。私が挨拶しても無視するくせに」小塚さんは杏ちゃ
んのいるリビングを振り返る。「うちの子、
14よ? 分かってるのかしら」

 陸くんは来る時に私も見た。これは苦笑するしかない。「うーん、まあ……ストライク
ゾーンはそれぞれですから。……変なことはないんでしょう?」

「ないわよう。でもあの子のどこがいいのかしらね。最近ますます私に似て、ふてぶてし
い顔になってきたのに」

「いやいや。杏ちゃん美人ですよ。確かに、似てきた感じはしますねえ」

「あの子ももっと身綺麗にしてればいいのにねえ。自分がどう見えるのかなんてぜんぜん
意識しないんですよ。お風呂も月に
1回がやっと」

「はは。気にならないんでしょうねえ、本人は」

「この間背中を嗅いでみたら『あっ、犬のにおいだ!』って思って」

「犬本人としてはそれが自然なのかもしれませんよ。柴犬の14歳って言ったら、人間だと
723歳だそうですね。もう、いろいろと億劫なのかも」

 話していると、さっきはすぐ逃げてしまった杏ちゃんがまた出てきて、今度は私の手を
ぺろりと舐めた。前に見た時はほんの子犬だったが、確かに今ではなんとなく小塚さんに
似ている。犬は飼い主に似る、というのは経験上本当のようだ。しかし角の陸くんは確か
セントバーナードだった。セントバーナードにとって柴犬は魅力的なのだろうか。

 杏ちゃんを抱き上げて首筋に顔をうずめると、確かに犬のにおいがした。

フェイスイーターの理由

2014年12月24日 22:05

その巨大な生き物は、岩陰から突然現れた。

最初は何なのか分からなかった。

地響きのようなくぐもった音がして、空気がかすかに震え、

岩の陰からもう一つ、動く岩が現れた。そのように見えた。

だがその岩は、私を見た。

当時の私は、奥多摩のこんな山に野生のタタラ科動物がいるなんて考えてもいなかった。

だから私は突っ立ったまま、驚愕で動けなかった。

タタラの巨大な口が、唾液の糸を伸ばしながら大きく開けられた。

一つ一つが石臼ぐらいありそうな巨大な歯が並んでいた。

私は握力をなくし、手にしていた水筒を取り落とした。

がこん、という音が河原に響いた。

 

はい画面を見てください。大きいですねー。

動物園などでみなさん御存じですね。日本原産、陸上動物としては最大級の、

タタラ目タタラ科tatara amplissimus laponicusです。

実物を見ると、おっきな岩がそのままズズズッと動いてるように見えます。

歳をとるごとに体が大きくなり、体高は最大6メートル、体長は12メートルに達します。

手は意外と器用なんですが、食事の時は大抵この大きな口で、そのまま丸かじりします。

そのため昔は大変恐れられており、

明治時代に日本に来たイギリス人がつけた英名は「フェイスイーター」。

ある意味、これは彼らの性質をとてもよく表しているわけですけど。

 

震えていただけの脚がやっと動いた。

ザックをすでに背負っていたのは幸いだった。私はタタラに背を向け、走り出した。

不安定な石がごろごろしていて足元が危ない。

転びそうになり、一度二度、地面に手をついた。足首にぴしりという痛みを覚えた。

地響きのような音が背後から追ってきた。

腕を振り、腿を上げ、私は走った。走るしかなかった。それ以上の思考ができなかった。

だが巨大で鈍重そうに見えたタタラは、理不尽なほどのスピードで追いかけてきた。

後ろを振り返る。

あんなに早く走ったつもりなのに少しも距離ができていないことを知り、私は絶望した。

 

外見からは想像もつきませんが、タタラは本気で走ると時速30km/hくらい出ます。

人間より速いんですね。しかも脚の構造が極めて特殊で、

簡単に言うと腹足類、ナメクジみたいな感じで走るんです。

だから上り坂も悪路もなんのその。

一度追いかけられたら、逃げ切るのはまず不可能です。

 

私は逃げた。山道を這い上がり、下草に足を取られ、転げて泥だらけになりながら走った。

息が切れ、心臓が跳ね回り、恐怖と混乱で頭の中が白かった。

地響きは少しも離れずについてきた。

木立の間を抜けると、後ろで枝の折れる音がした。

裾を濡らしながら小川を越えると、後ろで派手な水音がした。

何度振り返ってもタタラは常に絶望的な距離のまま、ぴったりとついてきていた。

私は考えた。逃げるのは無理だ。隠れてやりすごさないと。

ぬかるんだ下り坂を滑り降りたところで、私は山道から外れ、岩陰に隠れた。

坂の上にいたタタラの視界からは私が消えたはずだ。

口を押さえて必死で息を殺していると、地響きがすぐ近くまでやってきた。

通り過ぎた、と思った。タタラは私を見失った。

だが、地響きがやんだ。

山道を覗くと、タタラは目をぎょろりと剥き出し、私の足跡を観察していた。

ずるずると音をたててタタラが体の向きを変え、私のいる方に向かってきた。

 

またタタラ科は総じて知能が高く、人間との意思疎通も可能です。

研究のため罠を使って捕獲しようとしたこともありましたが、

単純な罠にはまずかかりませんね。鼻は効きませんが目がよく、

人間の顔も一人一人識別しています。したがってごまかしもききません。

 

巨大な岩がこちらに向かってくる。

目はまっすぐに私を見ている。大きな口が嬉しそうに開く。

私は放心して、目の前に迫ってきた巨大なタタラを見上げていた。

もう、逃げることなど頭に浮かばなかった。

黙って喰われるだけ。噛み砕かれるのだろうか。丸呑みにされるのだろうか。

どのくらい苦しいのだろうか。

そう思った時、タタラの手がにゅっと伸びてきた。

私は気付いた。巨大なタタラの手の中に、ちょこんとした円筒形のものがある。

私の水筒だった。びっくりして河原に落としていたのだ。

タタラは私の目の前に水筒を差し出し、にやあ、と確かに笑った。

 

ただ性格は非常におとなしくて優しいです。

大型草食動物には多いんですよね、そういうの。

タタラ科の場合、主食にしているのも木の実とか木の皮ですからね。

もっとも倒木を丸ごとかじったりしてる姿はかなり大迫力ではあるんですが。

人間に対しても親切で、遭難者を山の下まで連れて行ってくれた、という事例もあります。

それとこれはまだ科学的な裏付けはないのですが、どうも彼ら、かなりの面食いらしく、

可愛い女の子には優しいんです。木の実をプレゼントされた人もいるとか。

 

差し出された水筒を受け取ると、タタラは目を細めて私を見た。

私は信じられない思いでタタラを見た。

「……これを、届けにきてくれたの……?」

タタラは確かに、私の声を聞いて、にやあ、と笑った。

 

このことは山で暮らす人たちにはわりとよく知られています。

だから、ついた和名が「メンクイタタラ」なわけです。

英名の「フェイスイーター」というのは、

誤ったイメージに基づいてこの和名が直訳されてしまった、ということです。

そういうわけで、当時の私もずいぶんびっくりさせられたんですけどね。無事でした。

……何ですかその顔は。

美人なんですよ私は。彼らの基準で言えば、ですけど。










今回はクリスマスにぜんぜん関係のない話ですが。
元になったのはtoi8先生の漫画単行本「惑星さんぽ」(ワニマガジン社)に収録されている、
「おとしもの」という話です。(あるいは〈森のくまさん〉なのかもしれませんが。)
タタラの外見イメージを具体的に見たいという方はこちらで。
動物は見かけによらないです。ゴリラなんかも、昔は凶暴な猛獣だと思われていたわけでして。

その日には罪人にワインを

2013年12月24日 18:01

 クリスマスの前の日、その町では1人の泥棒が消えた。

 

 その町は、クリスマスになると華やぐ町だった。

 クリスマスが近づくと、町の目抜き通りには毎年、華やかなイルミネーションが
用意された。街路樹が、電信柱が、通りに面した家々が、それぞれに電球をかけて
光の壁画を作り出した。赤い光の帽子、白い光の雪、金色の光の星々に、緑の光の
クリスマスツリー。通りには本物の大きなモミの木も現れ、クリスマスとその前の
日には、目抜き通りを行く人々に赤ワインとビスケットを振舞うサンタクロースが
現れた。町の人々はそれを見て、いつもよりほんわりした気持ちになった。

 

 その町には泥棒がいた。泥棒は臆病だったので、暴力や脅しで仕事をすることは
なく、もっぱら留守の家を狙って忍び込んでは、金や宝石を盗んでいた。泥棒はい
つも、俯いて歩いていた。こんな仕事をして金を稼いでいる自分はしょせんろくで
なしだと、恥じる気持ちがあった。だが、泥棒をやめたら、次の日からどうやって
暮らしていけばいいか分からなかった。だからクリスマスが近くなっても、泥棒は
泥棒のままだった。

 

 その町には少女がいた。少女は今年も、サンタクロースの役を大人たちに任され
ていた。商店街の皆で買ったワインボトルとコップ、それにビスケットの包みを満
載した袋を肩にかけ、目抜き通りを歩くのだ。彼女はもう
4年も前からその役を続け
ていた。人懐っこい笑顔で大人に愛される少女であったし、本人もこの役を楽しんで
いるようだった。ワインボトルを扱う手つきは慣れたもので、初めての年には重くて
休み休み運んでいた袋も、今では軽々と担ぎ上げている。

「気をつけて行ってらっしゃい」

「はい」

「あなたは飲んじゃ駄目よ?」

「分かってるよ。……行ってきます」

 少女は駆け出して角を曲がると、くくく、と笑って家の方に舌を出した。町の人
たちにワインをすすめると、「お嬢ちゃんもどうだい?」と言ってくれる人が必ず
いるのだ。だから彼女は
1年でこの日だけ、大っぴらにワインが飲める。実は、彼女
が毎年、サンタクロースの役を引き受けているのはこれが目当てだった。

少女は目抜き通りまで軽やかに駆けると、早速、前にいた老人によく通る声で話し
かけた。「メリークリスマス!」

 

 泥棒は金がなくて困っていた。最近は、家に金を置いておく人間が少なくなった。
宝石もあまり見つからなくなった。それに彼自身も衰えていた。若い頃のように、
屋根から屋根へ、雨どいからベランダへ、軽々と飛び移ることができなくなった。

潮時かもしれない、と泥棒は考えていた。足を洗ってまともな仕事を見つけるか、
警察に行って、しばらく厄介になるのはどうだろうか。

 しかし泥棒にはその決心がつかなかった。身についた暮らしがなかなか変えられ
ない泥棒は、その日も町を歩き、狙えそうな家を探していた。

 

 少女が道行く人に「メリークリスマス!」と声をかけているのを、若い男が見て
いた。そういえば、この子は去年も見たことがある。いや、もしかして一昨日もいた
のではなかったか。担いでいる袋にはワインが入っているはずだ。重そうなのによく
走る。うむ。よく見ると可愛い子だな。

 男が少女に見とれていると、それに気付いた少女が駆け寄ってきて、彼にワインを
すすめた。男はいきなり近くに来た少女にどぎまぎしながらコップに手を伸ばしたが、
遠慮して少女の手に触れないようにコップを取ろうとするあまり、手を滑らせてワイ
ンを派手にこぼしてしまった。雪の上に赤ワインが模様を作り、男の手にもワインが
かかった。慌てた少女はハンカチを出して、手を拭いてくれた。男は頭を下げる少女を
押しとどめ、残ったわずかなワインをあおって歩き出した。こぼしたのはついていな
いが、袖にはかかっていない。それに、可愛い子だったな。

 

 泥棒は町を歩き、次に狙う家を決めた。目抜き通りの1本裏に、老婆が1人で住んで
いる家がある。あそこの老婆は家こそ普通だが、若い頃に夫から贈ってもらった高価
な宝石を、まだ隠し持っているという噂だった。玄関前は人目があるが、隣の家のベ
ランダから、2階のベランダに乗り移ることはできそうだ。隣の家はフライドチキン屋
だから、クリスマスの間はにぎやかになるが、そのことはかえって都合がよさそうだっ
た。クリスマスには皆、目抜き通りに面している1階の店の方に気が向いていて、裏通
りに面している2階のベランダには注意がいかなくなる。店がにぎやかになれば、多少の
物音をたてても目立たずに済むだろう。

 

 若い男が去った後、同じ道を男の子が通った。習い事の帰り、すぐそこの店で買った
フライドチキンを手に歩く男の子は、積もった雪のさくさくという感触が楽しくて、わ
ざと道端を歩いていた。汚いから食べちゃ駄目だと言われているけど、積もる雪はシャー
ベットのようでおいしそうだ。

 下を見ながら歩いていた男の子の視界に、こぼれたワインで真っ赤になった雪が突然
現れた。血だ、と思った彼は驚いて足を滑らせ、雪の中に尻餅をついてしまった。その
拍子に、持っていた食べかけのフライドチキンが包み紙から飛び出し、ぽとりと雪の中に
落ちた。男の子が慌てて拾おうとすると、今度は横から、さっと黒猫が飛び出してきて、
3分の1ほど残ったそのチキンをくわえてしまった。男の子は大声をあげて猫を追いかけた
が、猫は全速力で駆け、男の子が歩いてきた方に消えてしまった。

 男の子はまだ残っていたフライドチキンを思って溜め息をついたが、それを見ていた
サンタクロース姿の少女にビスケットをもらい、家に着く頃にはもう、にこにこ顔になっ
ていた。

 

 泥棒は、老婆のことを調べた。老婆は2階建てのあの家に1人で住んでいた。敬虔な
クリスチャンで、クリスマスの前の日には夕方から、教会に行くはずだった。泥棒は
決めた。クリスマスの前の日の夕方。その時がチャンスだ。あの家には誰もいなくなる。

 

 フライドチキンを手に歩く男の子の後ろを、黒猫はさりげなくつけていた。黒猫は
お腹を空かせていた。虫もトカゲもいない季節だったし、雪のせいで真っ黒な自分は
目立ってしまい、鳥たちも捕まえられない。あのフライドチキンが欲しかった。

 目抜き通りのところで男の子が尻餅をつき、その脇にフライドチキンが落ちた。その
瞬間を期待していた黒猫はさっと駆け出し、フライドチキンをかすめ取って逃げた。

 その途端、尻餅をついていたはずの男の子が大声を上げて追いかけてきた。驚いた
黒猫は必死に走り、どこか高い所に逃げなければ、と思い、とっさに、そこにあった
柱のような何かに駆け上がった。

 だがそれは柱ではなく、フライドチキン屋の店先に置いてある、創業者のおじさんの
人形だった。人形は黒猫が飛びつくとぐらりと揺れ、派手な音をたてて倒れた。黒猫は
さっと飛び降りて難を逃れたが、その拍子にくわえていたフライドチキンを、道端の溝
に落としてしまった。

 黒猫はがっかりした。しかし、人形が倒れた音に驚いて、食べていたビスケットを落
としてしまったサンタクロース姿の少女が目にとまった。黒猫は少女に駆け寄り、落ち
たビスケットをくわえて逃げた。フライドチキンほどではないのだろうが、なかなかお
いしかった。

 

 泥棒は老婆の家に忍び込む準備をした。目立たない服装。手袋。ガラスを割る金槌。
準備を整えると泥棒は家を出て、散歩でもしているようにぶらぶらと歩いた。老婆は
すでに夕の祈りに出かけている時間だ。目抜き通りはにぎやかに華やいでいて、裏手の
路地に注意する者はいない。

 泥棒はほくそ笑んだ。あの婆さんの高価な宝石は、俺のものだ。

 

 人形が倒れた大きな音で、表に出てお客を呼んでいたフライドチキン屋の店長は飛び
上がった。黒猫を追い払って人形に駆け寄ったが、頭から思いきり倒れた人形は、ひどい
有り様だった。顔にひびが入り、頭の一部が欠け、町の人たちに親しまれている優しい
創業者の顔は、ぎょっとするようなむごい状態になってしまった。店長は溜め息をついた。
この顔は少々怖すぎる。夜中に1人で歩き出しそうではないか。こんなものは、お客さん
の目に入る所に置いておけない。

 しかし、お客さんでいっぱいの店に、人形を置いておける場所はなかった。店長は仕方
なく人形を抱えて裏に回り、自宅になっている
2階のベランダに置いておいた。ついてない
な、と思ったが、サンタクロース役の少女にワインをもらうと少し元気が出て、店長はまた、
よく通る声で呼び込みを始めた。

 

 泥棒は屋根をつたい、フライドチキン屋の屋根に辿り着いた。目抜き通りの喧騒を尻目に
2階のベランダを見下ろすと、予想通り、裏通りには全く人目がなかった。

 泥棒はにやりと笑い、ベランダに飛び降りた。そして、そこから老婆の家のベランダに
移ろうとしたところで、顔にひびが入り、頭の一部が欠けている恐ろしい顔をした人形に
出くわし、ひっ、と叫んで落ちた。


 


 

 夕方、少女は目抜き通りを出た。少し自分で飲みすぎて、ワインが残り少なくなって
しまった。かわりのボトルは家にまだあるから、さっと取ってまた通りに出よう。そう
考え、少女は家に戻ろうと、裏通りに入った。

 

 老婆の家の庭に仰向けに倒れ、藍色に染まり始めている夕空を見ながら、泥棒は考えて
いた。一体、今のは何だ。罠か。幻覚か。それとも、こんな日に泥棒をしている自分に、
神様が罰でも下したのだろうか。

 泥棒は起き上がった。雪の上に落ちたせいで大きな怪我はしていなかったが、立ち上が
ると足首が痛んだ。怪我をしている。これでは、治るまで仕事ができない。

 泥棒は庭から裏通りに出ると、老婆の家を振り返って苦笑いした。この怪我は、こんな
日に盗みをはたらこうとした自分への、神様の罰かもしれない。いや、それとも慈悲だろ
うか。クリスマスにまで盗みを働くのは、正直なところ、あまりいい気分ではなかった。

 泥棒は痛めた足を引きずりながら歩き出し、そこで、サンタクロースの恰好をした少女に
出くわし、ワインとビスケットをもらった。

 泥棒はワインを飲み、手の中のビスケットを見て苦笑いした。宝石は手に入らなかったが、
なぜかこんなものをもらった。これだって、そう悪くない。

 ワインを飲むと、体の中が、ぽ、と暖かくなった。泥棒はビスケットをかじりながら通りを
歩き、その間に考えていた。今なら警察に行って、自分の罪を洗いざらい話してしまっても、
別にいい気がする。前から、機会があったら足を洗おうと思っていたのだ。

泥棒は警察署を目指して角を曲がった。きっと、今日がその日だ。

ジャックフロストがコーラを飲むと何色になるの?

2012年12月24日 23:18

>やあ、マーク。メリークリスマス!


>やあ、シロー。メリークリスマス!

おかしいな。僕のラップトップは故障したんだろうか?

日本人はクリスマスを恋人と一緒に過ごすはずだ。

シローが今頃、こんなところでチャットをやっているはずがないんだが。


>君のラップトップは正常だよ。残念なことにね。


>悲しいことだ。気を落とすなよ。

 日本のことわざで言うだろう?「タデが好きな虫もいる」


>「蓼食う虫も好き好き」?

 どうもありがとう、マーク。素晴らしいよ。全くなぐさめになっていないところがね。


>今年は虫が現れなかっただけさ。君の仕事では喜ぶべきことじゃないか。

 東京は暖かくて華やかなんだろう? どこかに遊びにいってみたら?


>そっちの方がキツいよ。

 ゴアブリッジはどうなんだい? クリスマスは賑やかになるの?


>エディンバラから12マイルも離れたド田舎だぜ? 静かなもんさ。

 クソ寒いし、みんな家に閉じこもって静かにしてる。

 サンタクロースはさっきもう来たよ。
 寒いからこのあたりのプレゼントはさっさと配って、
 毎年、夜更けに回るのはデヴォンあたりと決めてるそうだ。


>ひどいもんだね。まだ靴下を用意していない子供もいるだろうに。


>シローがうらやましいよ。

 アキハバラのサンタクロースはミニスカートの女の子で、

 「おかえりなさいませ、御主人様」って言ってコートを脱がせてくれるんだろう?


>何かとごっちゃになっているな。それはないよ。


>なんだ。寂しいな。

 それじゃ、聖マルコ様が寂しいシローのためにお話をしてあげよう。

 昨年のクリスマス、僕が出くわした奇妙なおっさんの謎についてだ。


>謎だって?


>君にとってはね。

 昨年のクリスマスの、午後3時頃だったかな。

 マーケットで買い物をしていた僕は、奇妙なおっさんを見た。

 そのおっさん、フラフラとカフェに入ったと思ったら、

 ラージサイズのコーラを持って出てきて、一気に飲みほしちゃったんだ。

 僕が驚いたのは彼の恰好さ。ネクタイは緩めてたし、
 上着どころかジャケットも着ていないんだぜ?
 しかもそのおっさん、コーラを1杯おいしそうに飲みほした後、
 「まだ足りないな」っていう顔をして、またカフェに入ったんだ。
 そしてまたラージサイズのコーラを持って出てきた。
 2杯目のコーラは20分もかけてうまそうに飲みほしたよ。

 どうだい? 不思議だろう? おっさんはその間、少しも寒そうにしてなかったんだ。

 しかもコーラを飲みほすと、カップに残った氷までガリガリ食べたんだぜ! 2杯とも。

 どういうことだと思う?


>どこかから走ってきて、暑かったんじゃないのかい?


>おっさんはゆっくり歩いてきたし、息をはずませてる様子もなかった。

 それに、2杯目のコーラは20分もかけてゆっくり飲んだんだぜ?


>僕にとっての謎は、君がコーラを飲むおっさんを
20分以上も眺めてたことだけど。

 その人、本当にコーラを飲んでいるだけだったのかい?

 コーラを飲みながらバーベキューをやってたんじゃないか?


>僕はある事情ですごく暇だったんだ。

 彼が口にしたのはコーラだけさ。まわりには火なんて一切なかった。


>そっちには、ホットコーラに氷を入れてくれる店があるのかい?


>よく読んでくれ。おっさんは
20分かけてコーラを飲みほして、

 「その後に」氷をガリガリ食べてたんだ。ホットコーラじゃないだろうさ。


>日本には、服の中に貼りつけるととても熱くなる、

 「使い捨てカイロ」っていうパッドが売ってる。薬局で買えるよ。


>「お灸」みたいなものかい? よく分からないな。

 でも、それなら剥がせばいいじゃないか。剥がせるんだろう?


>剥がせるね。少なくとも、コートとジャケットを脱いでネクタイを緩め、

 カフェで20分もかけてコーラを飲むよりずっと楽に。


>どうだい? 分かるかい?


>僕が子供の頃、冬でもハーフパンツの友達がいた。


>かわいそうに。


>貧乏だからじゃなくて、彼が寒さに強いからなんだ。
 そういう人だったっていう結論は無理かな?

 そのおっさん、「ジャック・フロスト」って名前じゃないのかい?


>無理だな。
 それに、フロスト警部はクリスマスだって忙しいだろ。

 カフェでのんびりコーラなんて飲んでないさ。

 どうだい? 降参かい?


>せっかくのプレゼントだからもう少し頑張るよ。

 でも、何かヒントがほしいな。


>ヒント? うーん……

 それなら、これはどうかな? ヒントは「親不孝」だ。


>「親不孝」?


>これでもう分かっただろう?


>少し時間をくれないかい?


>オーケー。ちょうど今、ママが呼んでる。オーブン見てろってさ。

 君には少し時間をあげよう。我が家の七面鳥が焼き上がるまでに謎を解いてくれ。

 それじゃ、また。


>オーケー。それじゃ、また。















>やあ、シロー。謎は解けたかい?


>やあ、マーク。七面鳥はうまく焼けたかい?

 謎の答えは、解けたんじゃなくて思い出した。君の「親不孝」というヒントでね。


七面鳥の方は結局ママがやった。

 彼女、「手伝え」って言って僕を呼ぶくせに、いつも最後は全部自分でやっちゃうんだ。
 
それなら呼ばなきゃいいのにね。
 
それより謎の答えを教えてくれ。どういうことなんだい?

>そいつはご苦労様。

 謎の方は簡単だった。まったく、ひどい答えさ。
 僕はすっかり忘れていたんだ。君がオーストラリアに留学中だってことをね。
 むこうのクリスマスは真夏じゃないか。
 君は昨年、クリスマス休暇に帰省しなかったのかい? 確かにとんだ親不孝だ。


>飛行機のチケットを取りそこねたんだ。

 あんなにすぐに一杯になるなんて思っていなかった。


>君が「すごく暇だった」のは、友人がみんな帰省してしまったからだね?


>その通り。ひとりぼっちですごく寂しかった。

 だけどシロー。僕は昨年知ったんだよ。

 1年でいちばん清らかな夜なんだ。ひとりで外を散歩してみるのも、そう悪くないぜ。


>ありがとう、マーク。そうしてみるよ。


>おっと、またママが呼んでる。
 
それじゃあシロー、僕はそろそろログアウトするよ。
 来年が君にとっていい年になりますように。

>ありがとう。それじゃあ君も、よい年を。



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