旅先における坦々麺の真実について

2012年02月22日 23:04

少し前、ある港町に小旅行に行き、そこで昼を食べた。

せっかく初めての町に来たのだからチェーン店以外で食べてみようと思い、

商店街を歩いて大衆的な雰囲気の中華料理屋を見つけ、入った。

約30分後。俺は、店の選択を間違っていたことを知った。

頼んだ坦々麺は手ごろな値段で量が多く、かなりの具だくさんである。そこはいい。

だが味は単純そのもので深みが全くなく、そのくせやたらと辛く、

大量の具と辛さで、味に手を抜いているのをごまかそうとしているかのようだった。

盛りつけにしても、ただ大量に具を載せることしか考えていない荒っぽさである。

テーブルもひどかった。少々油っぽいのは仕方ないとしても、

おしぼりどころかペーパーナプキンすらないというのはどうなのだ。

これだけ辛くすれば客は汗だくになるに決まっているのに。

この真っ赤なスープを飲んだ客は食後、口の周りをぬぐいたいに決まっているのに。

この店は客の立場でものを考えたことがあるのだろうか。

 

呆れながら坦々麺をすすっていると、

常連らしき客が次々と入ってきて、店は満席に近くなった。

入ってきた常連は全員、作業服姿のおっちゃんだった。

ひと目で分かる、バリバリのガテン系である。

それを見た俺は、自分が間違っていたことを知った。

この店の目的は、俺のような一見の観光客を呼び集めることではない。

地元で働くバリバリのおっちゃんたちに、毎日の昼飯を提供することなのだ。

以前、少しだけ肉体労働系のアルバイトをした時のことを思い出す。

午前いっぱい体を使って働くと、昼には尋常でない腹の減り方をする。

その時の食欲というのはもはや「飯を食いたい」というレベルではなく、

「エネルギーを入れないとやばい」という感覚なのである。

では、そういう客が望むのは、どういう昼飯か。

 

この店は、客の立場でものを考える店だった。

毎日の昼飯なのだから、そう値段は上げられない。

あれもこれも、とはいかない。何かを優先し、何かを削らなければならない。

では、まず優先すべきは何か?

それは、「よっしゃ食った!」という満足感なのだ。

ならばまず量。器は巨大に。具はてんこ盛りで。

味には深みや複雑さより、ガツンとエネルギーを注入されるようなパンチを!

常連客の笑顔がそれを証明していた。

 

だが坦々麺をすする俺は、意地悪くまた考えた。

──コスト削減で値段を下げようっていうのはいいけどさ。

──でも、それでおしぼりやペーパーナプキンを削るってのは、優先順位がおかしいだろ。

 

 

 

常連のおっちゃんたちは、頭や首に巻いている自分のタオルで、がしがしと顔を拭いていた。

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