いわゆる汚い本棚

2014年01月26日 21:34

自室の本棚を見て、その背表紙をざっと挙げてみる。

 

「犯罪」フェルディナント・フォン・シーラッハ/酒寄進一

「シロシロクビハダ」椰月美智子

「西洋美術史 改訂新版」大沢武雄

「おいしい減塩メニュー」

「妖怪〈世界編〉入門」水木しげる

「メンタルマジック事典」松田道弘

「世界泥棒」桜井晴也

「ポケモン ダイヤモンド・パールぜんこく全キャラ大図鑑 上・下」

「図解雑学 重力と一般相対性理論」二間瀬敏史

「失恋ショコラティエ」14巻 水城せとな

「第二次世界大戦 奇想天外兵器」渓由葵夫/河野嘉之

「新約聖書」

「特集アスペクト29 警察学入門」

「咲く順でひける四季の花事典」

「ヒストリエ」8巻 岩明均

「脳のなかの幽霊」V・S・ラマチャンドラン/サンドラ・ブレイクスリー/山下篤子

「桜庭一樹短編集」

「いちばん簡単! 個人事業帳簿のつけ方」石山みどり

「キャット・ウォッチング」D・モリス/羽田節子

 

山本周五郎の謂う「汚い本棚」に類するものであって、

書斎の主の興味の対象が那辺にあるかさっぱりわからない。

――筒井康隆『大いなる助走』

 

本棚は人を映す鏡と言われるが、

この本棚からはたして一貫した人格が浮かび上がるものかどうか、はなはだ不安である。

というより、「一貫して一貫性のない人格を示す」本棚である。

これは要するにその時その時の興味であっちへふらふらこっちへふらふら、

放浪型の読書を続けてきた履歴であって、

仮に夜道を歩いていていきなり目の前のコンビニから神様が出てきて

「お前は何に詳しいのだ」と問いかけられたとしても、

もごもご言うだけで答えられない、ということである。

 

なんとかしたいし恥ずかしいのだが、

では電子書籍にしてしまって片付ければいではないか、というと、それも嫌なのである。

前述のとおり、本棚は過去の自分の「興味の履歴」であり、

あの時はこれが好きだったあの時期にこれを読んだ、という、

日記のような役割を持っているのである。

ずらりと並んだ一貫性のない背表紙は

自分があちこちのジャンルに興味の足跡を残した記録であり、

「ここにも行ったなあ」「あそこにも行ったなあ」という思い出のコレクション、

ステッカーのベタベタ貼ってあるスーツケースみたいなものなのである。

(貼るタイプの人、最近は減っているようだが。)

これを片付けられないうちは電子書籍には行かないのだろうな、と思う。

画面に表示される読書記録に思い出の情緒を感じられるようになるまでには、

まだ時間がかかりそうなので。

 

しかし、こうなってくるともはや「足跡を残す」こと自体が

目的の1つになってしまっているので、

読書傾向のバラバラ加減は当分治らない気がする。

まあ、蔵書で部屋が傾いたらその時に考えよう、ということで、保留を続けている。

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