赤ちゃんのハードボイルド

2011年08月16日 17:05

唐突ですが、赤ちゃんの背中には押しボタン式のスイッチがついております。

このスイッチが押されると、

赤ちゃんはどんなに機嫌がよかろうと、ぐっすり眠っていようと、

一瞬のうちに100%覚醒状態になり、泣きわめきます。

 

いわゆる「背中スイッチ」というやつです。

たいていの親が経験する、

「抱っこしてあやしてあやしてようやく寝付いたと思ったのに、

ベッド(または布団)の上に置いた瞬間に起きて泣く」という赤ちゃんの性質を、

「背中にスイッチがついている」と表現するわけです。

私自身は育児経験がないので、他人の赤ちゃんのスイッチしか見たことがないのですが、

親からするといささか理不尽に感じるものなのだそうです。

確かに、あんなに上機嫌で眠っていた赤ちゃんが、

どんなにそっと置いても背中が布団についた瞬間にバチッと目を開けて泣き叫ぶのは、

不思議と言うほかないです。

 

なぜなんだろうと思ったので、ちょっと目先を変えて、

赤ちゃんの視点からこの現象を考えてみることにしました。

赤ちゃんからみれば、世界はこうなります。

自分は無力です。立つことも歩くこともできない。

目もはっきりとは見えないし、かけられる言葉の意味も分からない。

誰かがおっぱいを含ませてくれなければあっという間に餓死するし、

排泄物の始末もできない。

常に誰かに傍にいてもらい、世話を焼いてもらわなければ、すぐ命に関わる事態になる。

なのに、何をしてもらいたいかを言葉で伝えることすらできず、

自分ができることといえば、ただ泣くことだけ。

周囲の大人が自分の要求を自発的に理解してくれて、

自発的に世話をしてくれる気になればよし、

ならなければ、死ぬ。

 

よくよく考えてみれば、めちゃくちゃハードです。

常に死と隣り合わせ。しかも自分の生き死にはすべて他人任せ。

町中に刺客がいて、警察が当てにならない中たった1人、

孤独にギャングに立ち向かうハードボイルドの主人公より、よっぽどハードです。

 

そのハードな状況で、彼(または彼女)は親の腕に抱かれてうとうとしています。

親はとりあえず、さしあたっては自分を護ってくれるらしいと分かり、一応安心します。

死と隣り合わせの日常を送る1人のタフガイに、しばしの安息の時が訪れたようです。

彼はバッハのオルガン曲に耳を傾けながら、短い眠りにつこうとします。

 

その途端、今まで赤ちゃんを抱いていた親は、

「よし寝た! 今だ!」とばかり、彼を体から離します。

そして何やら彼に気取られないよう気をつけながら、

彼を布団の上に置き、こっそり立ち去ろうとしています。

生死の狭間を幾度となくくぐり抜けてきたタフガイの、研ぎ澄まされた五感が、

最速の手順で彼の注意力を喚起し、脳に危機の到来を伝えます。

 

──捨てられる!

 

彼は生き残るための必死の戦いを始めます。

毎日の戦いの中で鍛え抜かれた彼の肉体は、

生まれた瞬間に、この孤独な戦士にただ1つ与えられた武器、

「泣き声」という武器を、最も有効な方法で使う術を身につけています。

かくして、寝たはずの赤ちゃんは泣き始めるわけです。

バッハは関係ないですけど。

 

というわけで、

赤ちゃんの立場からすれば、「背中スイッチ」はむしろ当然ということになりそうです。

でもそれでは問題は解決しません。ずっと抱っこしてるわけにはいかないんです。

親には仕事があるんです。家のことをしなければならないんです。

腕だっていいかげん痛いんです。

どうすればいいんでしょうか。

 

と思っていたら、別冊文春・20117月号(すでにバックナンバー)

「はるまき日記」(作・瀧波ユカリ)に、背中スイッチの切り方が載っていました。

以下、引用。

 

すばらしく効果のある寝かしつけ術を考案した。とっても簡単。

布団に寝かせたはるまき(似鳥注:赤ちゃんの愛称)にぴったりと寄り添って、

ほっぺたや頭などをチュッチュとやるだけだ。

じたばたしていたはるまきは次第に大人しくなり、うっとりと眼を閉じる。

 

引用終わり。

赤ちゃんの心理についていろいろ想像を巡らせていたら、

この話がすごく腑に落ちました。

要するに、何者も信用できずに生と死の狭間に暮らす孤独なタイトロープダンサーに、

「たとえあなたが眠っても、私はその間にどこかに行ったりはしない」という

安心感を与えればいいようです。

ハードボイルドの主人公につかの間の温もりを与え、心の渇きを癒す街の女。

みたいな感じでしょうか。

まあ現実には、いつもこういう手段がとれるほど余裕があるわけじゃないのでしょうが。

 

それにしても、

このように考えてみると、実際のところ、

赤ちゃん時代ってそんなに幸せいっぱいじゃないのかもしれません。

赤ちゃんは時折、何もない空間をじっと見つめていることがありますが、

あれは明日知れぬ身である自らを省み、

形のない内なる神に祈りを捧げているのではないか、と思えなくもないです。

 

そこまでじゃ、ないでしょうけど。

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